ウィキペディア

ウサーマは、ムハンマド・ビン・ラーディンの10番目の妻でシリア生まれのハミド・アル=アッタスの子としてサウジアラビアのリヤドで生まれ育った。アラブの部族社会では事業を拡大するためには事業を行う地域を支配する部族長の娘を嫁にもらわなければならず、ムハンマド・ビン・ラーディンは22回の結婚をし55人の子供を儲けることになったが、最初の妻以外はウサーマの母のように短期間で離婚している。ウサーマを始め妻子の大半は40代を過ぎて事業が拡大してからの子供たちである。ウサーマはその17番目の子である。ムハンマドは妻ハミドとウサーマ生誕直後に離婚、ハミドは同じ部族のムハンマド・アル=アッタスと再婚し新しい夫との間に4人の子を儲けた。ウサーマはその新しい兄弟の頭として成長した。このためウサーマはラディーン族ではなくアッタス族の社会で幼少期を過ごし実の父とは一緒に暮らしたことがない。敬虔なワッハーブ派ムスリムとして育てられ、世俗の学校に通ったがエリート教育がなされた。